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Posted by チェスト at

2017年09月10日

橋脚が残る永吉川橋梁

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国道270号線を日置市日吉町から吹上町へ向けて走っていると、右側にかめまる館という物産館が現れます。

かめまる館ホームページ(外部リンクで開きます)

そのそばを流れる永吉川に、南薩線の永吉川橋梁の橋脚が残されています。



在りしの日の永吉川橋梁(写真はいずれもYou-enてっど様)





かめまる館ではレンタサイクルも扱っていて、近くの廃線跡のサイクリングロードを走って楽しめます。

  


Posted by 南薩線好き at 16:11Comments(0)南薩線沿線のいま

2017年08月13日

南薩鉄道と日本初の豚肉ブランドとの関係

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農畜産物には現在、さまざまなブランドがあり、他産地の同種類のものとの差別化が図られています。

豚肉でも、薩摩黒豚、阿波ポーク、平牧三元豚など、数えたらきりがありません。

しかし、日本で最初の豚肉のブランドは、1950年代に知られるようになった枕崎産の「鹿籠(かご)豚」と言われています。

その「鹿籠豚」、南薩鉄道と深いつながりがあります。

昭和24年(1949年)、枕崎から東京への黒豚の出荷が始まりました。

当時の長距離貨物輸送はもっぱら鉄道か、さもなくば船で行なわれており、枕崎産の黒豚も南薩鉄道の鹿籠駅から東京に向けて出荷されていきました。

枕崎産の豚は肉質の良さ、味の良さから市場関係者の間で非常に高い評価を得ましたが、その黒豚が運ばれてくる貨車に発駅の「鹿籠」の車票が入っていたため、「鹿籠豚」と通称されるようになりました。

産地が付けた名前でなく、市場関係者の間で付けられたブランドというところに、当時の枕崎産の黒豚に対する評価の高さが窺い知れます。

現在では、枕崎市内の飲食店でも鹿籠豚を使った料理を楽しめます。
鹿籠豚については→こちら(枕崎市観光協会のサイト内)(別ウィンドウで開きます)  


Posted by 南薩線好き at 16:12Comments(0)南薩線沿線のいま

2017年07月23日

南薩鉄道の遺産? 指宿営業所

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JR指宿枕崎線の指宿駅前に、鹿児島交通 指宿営業所があります。

営業所の他、窓口や待合室も備えています。

鹿児島交通は昭和39年に南薩鉄道と、大隅半島を中心に路線を展開していた三州自動車が合併して誕生しました。

現在確認中ですが、この指宿営業所の建物は、昭和39年以前に建てられたものと思われます。

だとすれば、枕崎駅舎が移転のうえ建て直され、鹿児島市の山形屋バスセンターが閉鎖されブランドショップになった今となっては、倉庫等を除けば南薩鉄道時代に建てられた、現存する唯一の建築物ということになります。

レトロといえばレトロで、植物に覆われた姿は南国的ではありますが、老朽化も進んでいるように見受けられます。






  

Posted by 南薩線好き at 15:50Comments(0)南薩線沿線のいま

2017年06月24日

南薩線線路跡のサイクリングロード(1) 吉利~吹上浜

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吹上浜サイクリングロードのうち、日置市 吉利から同市の吹上浜公園までの区間は、南薩線の線路跡を利用しています。


線路跡をほぼそのまま利用しているので、列車が木々の間から顔を出しそうなカーブの具合です。


自転車と歩行者のみ通行可能です。


列車が走っていた頃を思い出させる風景が広がります。

やはりサイクリングロードとなった線路跡は、自転車で風を感じながら走りたいもの。

永吉駅跡近く、線路跡や国道が永吉川をわたるところにある物産館「かめまる館」と、吹上浜公園近くの吹上砂丘荘の2施設でレンタサイクルが利用できます。

かめまる館のレンタサイクルポートへのリンク → こちら(外部リンクで開きます)




  

Posted by 南薩線好き at 16:24Comments(0)南薩線沿線のいま

2017年05月14日

枕崎駅のいま

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南薩線の終点だった枕崎駅。

1931年(昭和6年)3月10日に南薩鉄道の終着駅として開業。

おおくの乗客で賑わい、水産物やかつお節などを積んだ貨車もここから出発していきました。

1963年(昭和38年)10月31日には国鉄(当時)の指宿枕崎線がここまで延伸。

国鉄が乗り入れるようになっても駅員は南薩鉄道(のちに鹿児島交通)の社員でした。

しかし1984年(昭和59年)3月17日限りで南薩線は廃止され、無人駅となりました。

その後の2006年(平成18年)、駅跡地の再開発により駅舎も取り壊され、ホームも鹿児島中央寄りに移設。

長らく線路1本、ホーム1本のみの寂しい終着駅となっていましたが、2013年(平成25年)4月15日、市民の寄付(一部にはふるさと納税も活用)により、新駅舎が建てられました。

枕崎駅
入り口に掲げられた駅名を示す看板の相撲文字は枕崎市出身の立行司、第36代木村庄之助によるもの。

駅舎は2013年にグッドデザイン賞を受賞しています。

枕崎駅に停車中の列車
2017年(平成29年)現在、この駅を発車する列車は1日に6本。

2015年(平成27年)の乗降客数はわずかに53人。

廃止の噂も無いわけではありません。

南薩線現役当時の枕崎駅
南薩線があった頃の枕崎駅(画像:堀田和弘 様)

南薩線廃止後の枕崎駅
廃止翌年の枕崎駅。
水害のため加世田に帰れなかった列車(キハ102号)が取り残されたまま。  


Posted by 南薩線好き at 16:44Comments(0)南薩線沿線のいま

2017年04月16日

世界に認められた本坊酒造 マルス津貫蒸留所

トップ南薩線沿線のいま > 世界に認められた本坊酒造 マルス津貫蒸留所

先日(2017年4月)、南薩線沿線にビッグニュースが飛び込んできました。

旧 津貫駅前にある、本坊酒造 マルス津貫蒸留所が、ウイスキー業界の世界的なコンテストである「アイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)2017」「クラフトプロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したというのです。

詳細は→ こちら(本坊酒造のサイトより) (外部リンクで開きます)

この「クラフトプロデューサー・オブ・ザ・イヤー」とは、この一年でウイスキー業界に多大な貢献を果たした地ウイスキーメーカーに贈られる賞で、世界各国のウイスキーメーカーの中から世界最優秀の企業として認められたということになります。


本坊酒造の津貫工場では、1949年(昭和24年)に日本最南端のウィスキー蒸留所を開設、操業を開始しました。

しかし1985年(昭和60年)に長野県に設備を移転。

その後の一時期には長野県での製造そのものも休止していましたが、2011年(平成23年)に蒸留を再開。

そして2016年(平成28年)には津貫にマルス津貫蒸留所が新設され、再び津貫でのウィスキー蒸留が始まりました。


津貫にある本坊酒造の工場は、「鹿児島建築・まちなみ108景」にも選ばれた重厚な石蔵が外観的な特徴となっており、同社の焼酎「石の蔵から」の名前の由来ともなっています。

津貫蒸留所
津貫蒸留所の石蔵(2013年9月撮影)

石蔵といえば、工場の前には駅の跡地に隣接するように農協倉庫としてかつて使われた石蔵もあります。(いずれも2013年9月撮影)

津貫駅の農協倉庫

津貫駅の農協倉庫2


かつては津貫駅から引込み線が津貫蒸留所内に引かれ、製品が貨車に積まれて出荷されていたそうです。(津貫駅構内には、工場から線路に対して直角で入ってきた貨車の方向を転換させるためのターンテーブルもあったということです)

また、1970年代の終わりの本坊酒造のテレビコマーシャルで、ほんのわずかですが、南薩線の列車も登場したとも言われています。

南薩線とも縁の深い、本坊酒造 津貫蒸留所の発展を心よりお祈りいたします。

マルス津貫蒸留所では工場見学もできます → こちら(本坊酒造のサイトより) (外部リンクで開きます)
  


Posted by 南薩線好き at 15:54Comments(0)南薩線沿線のいま