2017年08月20日

昭和28年 加世田駅構内の車両火災について

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南薩線の歴史をたどると、1953年(昭和28年)に加世田駅構内で発生した車両火災事故に行き当たります。

南薩線廃止直前に南日本新聞に連載された「さよなら南薩線」第8回(1984年3月13日)では

二月十二日、知覧線の金峰町白川で走っていた貨車が炎上、死亡一、重傷一、軽傷九の南鉄史上最大の列車火災が発生した。上東によると、この日、金峰町阿多中のPTAがあり、負傷者は同中の父母が多かった。この列車火災の五ヵ月後(六月十四日)には、加世田駅構内で乗り入れの国鉄客車が炎上、一両全焼、一両一部焼損した。南薩線の前途を暗示するような連続事故だった。

と記述され、「鹿児島交通南薩線-南薩鉄道顛末記」(高井薫平、田尻弘行 著、ネコ・パブリッシング、2008年発行)の下巻でも触れられています。

この事故の顛末について、1960年(昭和35年)に国鉄(当時) 鹿児島鉄道管理局が発行した「鹿鉄10年のあゆみ」147ページに記録されています。

(ここから引用・原文ママ)

損害事故賠償金徴収関係

1.南薩鉄道加世田駅における国鉄所有客車火災事故

(1)発生月日 昭和28年6月14日 0時30分頃

(2)発生場所 南薩鉄道株式会社 加世田駅構内 貨物2番線

(3)損害程度 国鉄所有客車2両
         形式24000 ナハフ 24319号
          〃 オハ31 オハ 31276号 2両全焼
         損害額 1,205,415円

(4)被徴収者 南薩鉄道株式会社 取締役社長 岩崎与八郎

(5)徴収金額 1,205,415円

(6)事故概況
 国鉄と南薩鉄道株式会社との間の客車運転直通契約に基き、昭和28年6月13日南薩鉄道第425列車が、国鉄所有の客車2両(ナハフ24319号、オハ31276号)を連結運転、北多夫施駅に進入前、ナハフ24319号客車の中央左側戸袋から煙が出るのを乗客が発見北多夫施駅長に連絡したので、同駅長はバケツ1杯の水を戸袋に流し込み、さらに次の南多夫施駅でも車掌がやかん一杯の水を流し込み、加世田駅に到着した。車掌は乗務終了後、前記運転中の状況を上司に報告せず、そのまま同客車は同駅貨物2番線に留置してあったところ、6月14日0時30分頃、附近居住の者が客車の火災に気付き、すぐ消火につとめたが、国鉄所有の客車2両を全焼したものである。

(7)(参考写真) 138頁下段参照

(引用ここまで)

「鹿鉄10年のあゆみ」は鹿児島県立図書館などで閲覧できます。



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Posted by 南薩線好き at 16:41│Comments(0)リポート
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