2017年12月10日
児童文学に描かれた南薩線
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『分校のガキ大将』(鹿児島・子供と教師の文学の会 編、1976年、ポプラ社)は、鹿児島県内の7人の学校の先生方が子供の頃の思い出を綴った物語を集めた短編集です。
その中の、『正ちゃんと線路』(田中悦子 作)には、昭和20年代の南薩線が舞台として出てきます。
あらすじ・・・
万世に住んでいた作者の親戚の子の正ちゃんは、友達と野球をしていて、大切なボールを無くしてしまい、お父さんに叱られてしまいます。
しかしどうしてもボールを見つけ出す事ができず、鹿児島に住む叔父さんに買ってもらおうと思い立ち、南薩線の線路伝いに鹿児島を目指します。
しかし途中で日が暮れてしまい・・・
万世線の描写として、以下の文章があります。
(ここから引用)
そのころは、南薩線(薩摩半島を走っている私鉄)の加世田駅から万世まで、たった一駅区間の万世線という支線があったのです。三キロメートルぐらいの長さはあったと思いますが、この線路には、小さいながら鉄道線路にあるひととおりのものは、なんでもそろっていました。
短い、短い、たった四、五メートルの長さの鉄橋、あっという間にぬけてしまうトンネル、田んぼのあぜ道と交差する踏切などがあって、遠くから見ると、まるでマッチ箱が走っているように見える小さな汽車が、「ポーッ、シュッシュッ」と、走っていました。
正ちゃんは、ふだんはめったに汽車に乗ることはありませんでしたけれど、竹田神社の夏祭りのとき、おかあさんといっしょに、汽車にのって加世田まで出かけたことがありました。妹の圭子ちゃんといっしょに窓の外を走る電柱を、「一本、二本・・・」と数えました。鉄橋までなん本、次ぎはトンネルまでなん本、踏切までなん本といいあいました。ゴットン、ゴットンと走る汽車の窓から吹きこんでくる風は、とてもすずしくて気持ちよく感じられました。
(引用ここまで)
『分校のガキ大将』は、鹿児島県立図書館ほか、一部の学校図書館、公立図書館などで閲覧できます。
(県立図書館では、児童文化室で開架状態となっており、自由に閲覧できます・2017年12月現在)

表紙(クリックすると拡大表示できます)

『正ちゃんと線路』1ページ目(クリックすると拡大表示できます)

『分校のガキ大将』奥付(クリックすると拡大表示できます)
(本文中敬称略)
『分校のガキ大将』(鹿児島・子供と教師の文学の会 編、1976年、ポプラ社)は、鹿児島県内の7人の学校の先生方が子供の頃の思い出を綴った物語を集めた短編集です。
その中の、『正ちゃんと線路』(田中悦子 作)には、昭和20年代の南薩線が舞台として出てきます。
あらすじ・・・
万世に住んでいた作者の親戚の子の正ちゃんは、友達と野球をしていて、大切なボールを無くしてしまい、お父さんに叱られてしまいます。
しかしどうしてもボールを見つけ出す事ができず、鹿児島に住む叔父さんに買ってもらおうと思い立ち、南薩線の線路伝いに鹿児島を目指します。
しかし途中で日が暮れてしまい・・・
万世線の描写として、以下の文章があります。
(ここから引用)
そのころは、南薩線(薩摩半島を走っている私鉄)の加世田駅から万世まで、たった一駅区間の万世線という支線があったのです。三キロメートルぐらいの長さはあったと思いますが、この線路には、小さいながら鉄道線路にあるひととおりのものは、なんでもそろっていました。
短い、短い、たった四、五メートルの長さの鉄橋、あっという間にぬけてしまうトンネル、田んぼのあぜ道と交差する踏切などがあって、遠くから見ると、まるでマッチ箱が走っているように見える小さな汽車が、「ポーッ、シュッシュッ」と、走っていました。
正ちゃんは、ふだんはめったに汽車に乗ることはありませんでしたけれど、竹田神社の夏祭りのとき、おかあさんといっしょに、汽車にのって加世田まで出かけたことがありました。妹の圭子ちゃんといっしょに窓の外を走る電柱を、「一本、二本・・・」と数えました。鉄橋までなん本、次ぎはトンネルまでなん本、踏切までなん本といいあいました。ゴットン、ゴットンと走る汽車の窓から吹きこんでくる風は、とてもすずしくて気持ちよく感じられました。
(引用ここまで)
『分校のガキ大将』は、鹿児島県立図書館ほか、一部の学校図書館、公立図書館などで閲覧できます。
(県立図書館では、児童文化室で開架状態となっており、自由に閲覧できます・2017年12月現在)

表紙(クリックすると拡大表示できます)

『正ちゃんと線路』1ページ目(クリックすると拡大表示できます)

『分校のガキ大将』奥付(クリックすると拡大表示できます)
(本文中敬称略)